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「障害を抱えながらスポーツに打ち込む選手たち」って言葉の薄さ。

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自分は、オリンピック選手もパラリンピック選手もメンタルトレーニングで関わります。

 

自分にとっては、どっちも一緒です。

 

どんな選手を相手にしようと、やることは決まってる。

脳の情報処理能力がどうなっているか。

思考と感情をどうコントロールしているか。

それをいつ、どう調整し、どの方向で引き上げるかが競技特性によって違うだけで。

 

頭から下がどうなっているかよりも、その頭自体がどうなっているかなだけで。

 

だからこそ、足が片方ない選手の方が、心理的にはバランス力に長けている言語表現があったり。

両足ない選手の方が、「地に足のついた」言語力があったり。

 

脳が身体を司るわけでから。

その人ならではの、「スゴさ」が、そこにあるだけで。

 

その意味では、べつに、「障害を抱えながら」とかって、くくり自体が意味不明だと、自分は思うわけです。そもそも障害じゃないし。って選手だっている。

 

オリもパラも、選手によって、メンタルがタフな選手もいれば、タフなフリをする選手もいれば、タフじゃない選手もいれば、タフになりたいが、そもそもタフの意味が、方向性がわからない選手もいれば。

 

べつに、オリでもパラでも、「人それぞれ」。

 

だから、パラアスリートに対して、べつに「すごいですねー」とかっていう時、

「障害を抱えているのに、スポーツに打ち込むって、すごいですね」なんて、絶対思わないっす。

 

この言葉。よく聞く。

 

「障害を抱えながら」って。

 

目を閉じてみれば明白。

「障害」って、じつは、言ってる人の勝手な思い込みだって。笑。

 

そもそも、北京パラリンピックの開会式コメンテーターをやった時、つくづく思ったんだ。

パラリンピックの選手村で、自分は明らかに、「自分自身が障がい者」でした。。。

 

 


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